人間関係とコミュニケーションの教科書

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君子実は臆病

      2016/09/11


日本では謙虚なことがよいとされ、尖った部分を持つチャレンジャーはあまり歓迎されない。
謙虚という言葉は聞こえはいいが、裏を返せば挑戦しないということである。

謙虚な人間というのは波風立てないイメージを与え、予定調和が良しとされる日本ではウケがいい。大きな組織で出世する人間というのも失敗しない人間であり、チャレンジする人間ではない。こういう人間は会社内ではまさに「君子」であり、尊敬の的になる。逆にチャレンジャーというのは大企業からすれば邪魔であり、邪険に扱われてしまう。

謙虚さが口先だけでなく自分の思考回路にまで影響してくると厄介である。チャレンジしない姿勢というのは人を臆病にさせる。一旦臆病になってしまうとチャレンジし続けることを忘れ、大きな利益を取り逃すことにも繋がってしまう。リスクを取ったほうが合理的な場合でさえ、「謙虚」な人間はリスクを取ろうとしないのである。損失が微々たるものであれば挑戦した方が良く、その方が後々のためにもなる。

君子危うきに近寄らずという諺があるが、これは裏を返せば賢い人は挑戦しないというようにも取れる。知識や教養のある人は争いを好まないため、大きなものに挑むということがない。そのような姿勢でいては考え方自体がどんどん古いものになっていき、時代遅れになってしまう。気付いた時には無能な人間になっているため、本当のところそれは無知としか言えない。

謙虚さを捨てて挑戦する人間の場合、新しい物を積極的に取り入れていくことになるし、挑戦する回数も増えるので成功しやすい。最初のうちは邪魔なようにしか 思えない人物も一回の成功で頼れる人物に大変身してしまう。何よりも挑戦回数の増加により成功する確立が増えるというのが大きく、古いものに固執する人間 よりはだいぶ良い。長い目で見た場合こういう人材の方が良いといえる。

謙虚というのは守りの姿勢である。それはジリ貧になるということを示 し、実際のところメリットは何もない。言葉というのは非常に厄介で、普段の何気ない言葉遣いが性格そのものまで変えてしまう。長い目で見た場合、世間体を 気にして失敗しない選択肢を選ぶよりだったら、常に挑戦し続ける方が賢明である。そもそもの話、長期的な視点で考えることが出来ない時点で無知と言わざるをえず、謙虚というのは実は無知と変わらないのだ。

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